1月17日5時46分
3月11日14時46分という数字がそうであるように、17年前、1月17日の5時46分というランダムな数字の羅列が、私たちの記憶に、深く濃く、打刻された。
被害の特に大きかった兵庫も、当時の惨状が幻だったかのように、今は都市としての姿かたちを取り戻している。17年後の東北も、たぶん、兵庫よりはスローだろうけれども、それなりの町の体裁を取り戻していることだろう。
でも、記憶は、どうだろうか。人間の記憶は上書きされていくものだ。強い記憶が弱い記憶を駆逐していく。
あの日以来、被災者にとって、 穏やかな日々の記憶は、額縁に飾られた絵のように客体化されてしまったのだ。というより、あの忌まわしい体験が映像となって、脳裏にくりかえし流れる責め苦を負うくらいなら、記憶なんて戻らないほうがよっぽどいい。そう考える人もいるだろう。
「復興なんて言葉、使うな」
被災者の言葉として、誰かがどこかの雑誌に書いていた。あの惨劇が繰り返されるような気がして不安になるから、復興なんて言葉は嫌いだ。復興ではなく、再生だ。そう綴られていた。被災者の心が想像以上にもろく、神経質になっていることに、私はいささか驚いた。
「復旧」だと昔に戻すだけだから、「復興」である。それが適切な言い回しだと私は考えてきたし、「ジャパニスト」に拙文を書かせていただいたときにも、そういう意識があったので注意深く言葉を選んだつもりだった。浅はかな思慮だったのかもしれない。
もっともある人は、被災者が求めているのは、復興などという遠大な話ではなくて、ごく平凡な以前の日常を取り戻すこと、つまり、復旧であると書いていて、それも一理あるとうなずいたこともあった。
つくづく日本語は、日本人の言葉に対する感性は、複雑繊細なり。言霊の国。そういわれる所以だ。
新しい記憶を、つくるしかないのだろう。穏やかな日々の、新たな記憶を。
そのために私たちができることはなにか。いろいろあると思うけれど、いろいろありすぎて、どれもたいして奏功しない気もしてしまう。
記憶をつくっていく主体は、他の誰でもない被災者である。 どんなに物心両面で支援をしても、それを受け入れる側の心が閉ざされたままならば、経済的復興には役立つかもしれないが、それ以上にはならない。
閉ざされた心を開かせるためには、「まなざしを向け続ける」などという、一見安易で地味な態度にこそ、実は結構なチカラがあるのではないか。何の根拠もない、直感にすぎないけれど。
ずぼらな私にも、見続けることくらいなら、たぶんできる。
見続ければ、忘れることもない。そして、年に一度は必ず、東北に行く。
「記憶の再生」をサポートするために、まずは、そこから始めてみよう。
明日の宇都宮中心街を考える会
佐藤 拓夫
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