オトナが遊んでなにがワルイ


日本の大人の男と女が楽しく遊ぶとこうなる。


全4回の日本おとなの遊び塾の初陣は、つまりそういう一夜であった。

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塾頭は原伸介氏。

ジャパニストの読者として、また2月からは編集者として、彼の「楽」の部分をほんのすこしだけ垣間見ていたが、いきなり初手から胸襟をがばと開き、日本の男の「楽」と「心」のありようを、自身の生い立ちにまでさかのぼり聞かせていただいた。感謝。


橘屋のご当主である上田比呂志氏ともわずかの時間だがお話させていただいた。
1時間3千円であの貴重な場を供しているということ、その一点だけをとっても、上田氏の志が私ではなく公にあること瞭然であろう。多謝。



受付をしようと会場の畳敷きに一歩踏み出して顔を上げた瞬間、思った。


「舞台と客間の間に敷居がない」


敷居とは、物理的なそれではない。もてなす側ともてなされる側。そういう目に見えない遠慮や壁のような、不可視な敷居である。

それがまったく感じられない空間だったのだ。
宴たけなわとなって、ほぐれた間柄になったうえでそういう空気になるのは当たり前。
幕が上がる前なのに、そういう空気が流れているということは、そういう人たちが集まっているからだと思うほかあるまい。

「これは楽しい時間になる」と予感し、はたしてそのとおりとなった。

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休憩で出された菓子と茶も美味なり。

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場所を加賀に移してからは無礼講。といってもドンちゃん騒ぎではない。

礼節と親密を絶妙の塩梅で保った、心地よい和みのコロニーがあちこちに出来ていた。

悠玄亭玉八師匠の幇間芸もぐいぐいと興にのり、

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おいそれと公共の電波には流せない描写へ・・・。

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それはしかし、エロではなくて、イロ(色)。

流れるように繰り出される師匠の至芸。爆笑が句読を打つ。そのリズムが実に爽快。

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和に加わったり、離れてカメラ片手に眺めてみたり、行きつ戻りつしていて気づいたことがあった。

ぽつねん、としている人がいないのである。

お初の人たちがたくさん集まれば、話の合わない人や苦手な話題があっておかしくない。
卓の端っこで一人静かにグラスを傾けたり刺身のツマをつついたり。「なんで俺はここにいるんだろう」というような、あの手持ち無沙汰な感覚を、酒を呑めない私は味わうことがある。


そういう疎外感に包まれた様子の御仁は、当夜に限っては見当たらなかったと思う。

それだけをとっても、この遊び塾の楽しさ、そこに集う人たちの楽しさがわかろうというもの。





第2回は6月。

問い合わせは、「水の和」まで。

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佐藤拓夫

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